こんにちは、むたろうです。
児童手当の特例給付廃止のニュースなどを見ていて、「本当のお金持ちって何だろう?」と考えたので、頭の整理を兼ねて私見を書いてみました。
行政サービスなどは、収入額を給付や無償化の基準に設けていますし、婚活などにおいても収入面が重視される傾向にありますから、世間的には「収入の多寡」がお金持ちかどうかの判断において大きなウエイトを占めていると言えそうです。
そこで3つの場合を考えてみました。

①年収1500万円・支出1000万円・資産1000万円
極端ですが、例えばこんな人(世帯)がいたとします。
年収1500万円と言えば文句なしの高収入。婚活でも何でも引く手あまたでしょう。
・・・しかし、この人をお金持ちと呼ぶには違う気がします。
年間支出1000万円は月にならすと約83万円。
都内のファミリーマンションに住み、子供を早くから私立へ行かせ、習い事をたっぷりさせ、年に2回は家族で海外旅行へ・・・みたいな生活をしていれば余裕で達成できそうです(笑)
そんな支出が許されるのが高収入の証だという声が聞こえますが、それは「高収入」なだけであって、「お金持ち」や「富裕層」かと言われると違うと思います。
資産1000万円は多く感じますが、それでも年間支出がそのままなら役1年で食いつぶしてしまう額です。生活防衛資金として年間支出相当額を預金で確保しておくとすると資産収入もほぼ0円です。
この「高収入」なだけで「お金持ち」ではない層の負担を重くしようとするから、所得制限などに対する不満が出てきてしまうのかもしれませんね。
繰り返しますが、私はこういった収入・支出状況の人たちをお金持ちとは思いません。手取り収入で考えた場合、収入のほとんどを支出してしまっている状況ですので、今後高収入が続いたとしても、資産はあまり増えません。
ただ、将来「お金持ち」になるためのチャンスが大きいのがこの人たちだと思います。
しかし、自分たちを「高収入=お金持ち」だと誤解し、先ほどのような支出をしているようでは(それが高収入に対する正当な報酬だと主張する人たちは存在しますが)、ロバートキヨサキの言うところの「ラットレース」に巻き込まれて、高収入でありながらお金に追われた人生を過ごすことになるのでしょう。
しかし、Twitter界隈などで見られるようにパワーカップルの高収入でありながら、自分たちが「お金持ち」だと誤解することなく、支出を見直し、貯蓄・投資を継続している人たちは将来「お金持ち」になる可能性が最も高いのだと思います。
②年収500万円・支出180万円・資産5000万円
再び極端ですが、このような人(世帯)を想定します。
年収は500万円と平均的ですが、年間支出が180万円と低く、月にならすと15万円です。
月15万円だと都心部では住居費が高いため質素な生活になるでしょう。到底、年に2回の家族で海外旅行は無理ですし、「お金持ち」とは言えない生活状況かと思います。
しかし、築いた資産は5000万円です。多めに見積もって2年間分の年間支出360万円を生活防衛資金として除いた4640万円が株や不動産などの収入を産む資産だった場合、この資産からの年間収入は約140万円(利回り3%と仮定)になります。
これは年間支出の180万円に迫る額です。今後もこの状況が続けば、手取り400万円としても年間で220万円(収入からの貯蓄分)+180万円(資産収入)
の合計400万円ずつ資産が増えていきます。
しかも資産額に余裕があるため、その400万円は株や不動産などの預金以外の資産に投資をすることができ、そうすると資産額は複利で増えていきます。さらに元から持っていた4640万円自体も今後長い目で見れば増える可能性が高いと考えられます。
こうなると、資産からの収入が年間支出を上回るのはもうすぐでしょう。
年収が低いため、行政サービスの所得制限には該当しません。そのため、いくつかの補助や助成を公金から受け取ることができるでしょう。
その公金は①の人たちが多く稼いでくれた年収から主に徴収されています。資産額は圧倒的に①の方が少ないのに、です。
そうなると②の人たちは、資本主義及び累進課税制度などに基づく社会民主主義的な近代国家運営の特徴をうまく利用した生き方をしていると思います。
私も、まずはこの状態を目指したいと思っています。
③年収0円、支出200万円・資産3億円
最後に、もっと極端な例を考えてみます。
仕事をしておらず、資産からの収入のみで暮らしている人です。
もちろん仕事の年収は0円、年間支出は200万円で月にならすと約16万円、築いた資産は何と3億円。
仕事をしていないので都心部に無理に住む理由はなく、住居費が安くなるため、月16万円でもそれなりの生活ができるかもしれません。
資産のうち2000万円を現金で持っていたとして、残りの2.8億円が3%の収入を生んでくれるとすると年間840万円。そこから年間支出200万円を引いても640万円余り、また2.8億円も勝手に成長してくれるでしょう。
こうなると、仕事で収入を得なくても、資産からの収入ですべてがまかなえます。
お金を使っても、資産は減ることなく、むしろ増えていきます。これこそが資本主義で生きる人たちの一つのゴールではないかと思うのです。
まとめ
私は、「お金持ち」かどうかは「収入額」ではなく「資産額」で決まるのだと考えます。
「支出を資産からの収入でまかなうことができ、それでも資産は勝手に増えていく状態を構築した人」が「お金持ち」なのだと思います。
野村総研の「富裕層」の定義が資産額で決まるのもある意味納得ですが、支出額が人それぞれである以上、その支出をまかなえる資産額もまた人それぞれです。ですので、「5000万円以上」のような定義は目安として考えるとよいのかもしれません。
世の中の「お金持ちとは何か」の考え方や行政サービスの所得制限などは、「収入」に基準を設けているものの、その多寡が必ずしも「お金持ち」と同義でないことが不満や不平等感を生む原因になっているのかもしれませんね。
「収入額」は確定申告や年末調整といった手続きを通すことで政府による把握が簡単なのに対し、国民すべての「資産額」を網羅的に政府が把握することは難しいという点も背景にあるのでしょうか。
今後、マイナンバーの利用により個人の資産額の把握が容易になった場合、資産に課税されたり、資産額が行政サービスの基準として使われたりといった未来が待っている可能性もあります。
もちろん①のような生き方だって、個人の生き方という捉え方で言えば良いと思います。好きな仕事をずっと続け高い収入を得て、それを上質なモノ・サービスに消費する。ただ、現在の近代国家運営と資本主義の下では必ずしも賢い生き方ではなくなってきているのかもしれないと個人的には感じました。
私はまず②を目指し、その後③の状態になれたら最高だと考えています。
私見をダラダラと書いてみましたが、読んでいただきありがとうございました!
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